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モンティホール問題なんてない



ご存じでしょうか。

”モンティホール問題” という
長年人類を悩ませ続けているらしい的な 都市伝せナライズされてる問題 がありまして
これがまた 実は大して難しい話ではないという・・

さて この問題を私なりに再整理したのが 次の文章となります。
まずはこちらをどうぞ。

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3個 のガシャポンカプセルがあります。
3個のうち 1個にだけ お宝フィギュアが入っています。
残り2個は空です。
開封しないと中身は見えません。
この3個を 1個と2個の ふた「組」に分けてください。
次に どちらかの「組」 を選んでください。
一方は1個 もう一方は2個 をゲットできるということです。
さて あなたはどっちの「組」を選びますか?
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すいません 当然2個の方を選びますけど・・?

正解です。

以上。

え?

とどのつまり モンティ・ホール問題とは こういう問題なんである。
いったい これのどこが大問題なのだろう ??

「大問題でもなんでもない。」 で正解である。
こんなの 当たり前なんである。


このように 二組に分けるとする。
当然2個の方を選ぶ。


当たりました!

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モンティ・ホール問題に関しては
いろいろな方々が いろいろな方法で説明を試みており
私が今回これをあらためて書こうと思ったのも
最近Youtubeにて この問題に関する動画を 立て続けに食らったからであり
「みんな今だにこいつの罠にはまって ややこしい説明をこねくり回しておるんか
クーっ じれったい こそばゆいぞっ!」
たぶん私が知らないだけで どこかの誰かが 何かの本だかで すっきり爽やかにこの問題を斬ってくれているに違いないのだが そう信じたいのだが・・
書きたい! 一言言ってやりたい!
私が偉そうに語るのも非常にお恥ずかしい限りで 赤面しつつなのですが・・

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そもそもなんでこんな問題にみんな悩むのか なのである。
モンティ・ホール問題は 通常は 以下のような”自然言語”で語られます
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3つのドアの内 一つにお宝(スーパーカーとか)が隠れています。
あなたは 3つのうち1つを 選んで(1) ください。
選びましたか。 このドアですね。
さてここで司会の私が あなたの選ばなかった2つのうち お宝がない方を開けてしまいます。
ジャジャーン! ご覧の通り空ですね。
残るドアは2つ!
さてここで あなたにもう一度 選び直す(2) チャンスをあげます。
最初の選択を変えますか? それとも変えませんか?
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答えは 「変えた方がいい」 です。
変えないよりも変えた方が 当たる確率が倍になります。
こう言われると確かに「ホンマかいな」的なニュアンスが立ち昇ってくるやうな気がしてくる・・

しかし これら二つ:ガシャポン問題とドア問題 は 論理的に全く同一の内容を語っている。
1mmも違わない。
もう一度  よーく この2つの文章を見比べて吟味してみてほしい。

どうですか・・ わかりますか・・

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私が思うに
「 ”自分” の ”自由意志” で  ”選ぶ” 」 とか
「 選び ”直す” 」 「 ”変える” 」 とかいった
自然言語による 本質とは関連のない飾り付け・トッピング によって
感情:情動的な何らかが刺激され 非論理的な動作を誘発し
この問題のコア部分を いまいち見失わせ
論理的な本質 全くもってシンプルな本質 がカモフラージュされるのである。

錯誤ポイントは 次のような感じではないかと思ふ・・


[ ポイント1 ]
選んだ(1) 後に 選び直す(2) んであるからして そもそも最初の 選ぶ(1) は 「選んでいない」んである。
実はですね ここで行われているのは ドアの ”選択” ではなく ”グループ分け:集合の作成” なのです。
司会者が本当に言っている意味は
「3個 を 1個と2個の2グループ に分けてください その境界線を引いてください」
なのである。
ドアを選んでいるのではなく 境界線を選んでいる と言い換えることができるでしょう。

[ ポイント2 ]
選び直す(2) の方は まさに 選択行為 であり
これが ただ一度遂行される ”ドアを選ぶ” である。
そして実は どちらを選ぶかに 選択の余地はない のである。
2個いちグループを選ぶ方が 得に決まっている のだ。

[ ポイント3 ]
司会者は 2個いちグループのドアのうち1個を開けるのであるが
2個いちで一つのものとして選択対象とする という観点からすれば
実は この行為は実質 まったく無意味 な行為である。
何の情報ももたらさない。
この動作は あってもなくても 系に影響を及ぼさない。
もう一度よく注意して考えてみてください。
3個のうち 当たりは1個だけなのだから
2個いちグループの一方が空なのは 自明すぎる当たり前 である。
あなたへもたらされる情報は ゼロ である。
・・ たぶんこのあたりが 最大の山場なのかもであるが
ここまで読んでいただければ なんの抵抗もなく了解いただけるかと思う。
追)実質「2つの扉を開けられますよ」と全く同じことであるのだが それをカモフラージュするために 司会者が自ら2つのうち一つを開くというこけおどしをする という説明の方が より飲み込みやすいかもしれないですね・・


・・注意すべき引っかかりポイントは 以上になります。

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くどいですが この問題の要点は要するに

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3個のものを 1個と2個の二つの組みに分ければ 当然2個の方が得。
唯一 あなたが ”自由意志” を行使するのは「どこに分割線を引くか」。
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これで全て語り尽くされている・・ と私は思います。


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さて
みなさん スッキリされましたでしょうか? (だいじょぶかなぁ・・)

モンティ・ホール問題とは 数学の問題ではない。
言語の中に潜む曖昧さ 誇張 論理への揺さぶり 人間の危うさの問題そのものなのではないか・・
と 最近は思ったりします うーむ。。
多分これは 氷山の一角なのである。
われわれは日々 この手の撹乱に騙されもて遊ばれ翻弄され 判断を誤らせられたり誘導されたりしているのである。
おとろしい! 各々方 気を引き締めねばならんぞ。

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文章を分解して トッピングされた「余計な意味」を排除し 残ったものだけを吟味する。
これは 鏡の左右問題(以前にも書きました:こちら>> )にも当てはまって
鏡問題の本質は「面と法線」であり
登場人物は とどのつまりこの二つのみだ と察知し これ以外の要素は排除する。
問題文に出てくる ”左右” という言葉に対し 違和感を嗅ぎつけ
これは本題とは別物の外部要素であり 無理やりくっつけられたシールみたいなもんで いつでも剥がせるじゃん と気づくことである。



2022.04.18

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